真夜中の血糖

3%の真実と97%のイカサマで健康ハラスメントを煙に巻く

大後悔、に対する見解

プーカプカ

どーも。意外な事に、血糖値との2年以上に渡る闘いよりも、四十肩による痛み及びそのリハビリテーションを通しての考察並びに経験値のほうが、人生に与えた影響大きかったプーカプカです。

 

悪化していない段階での糖尿病って、ほんとに病識も持ち難くて、手強い病です。

自覚症状が(有り難い事に合併症も)全く無かった自分にとって、糖尿病及び血糖値というものの存在は、想像の産物でしかないんですね。

実感、体感、というものが全く無いママにここまで進んできている。

数値だけが存在している病なのです。

 

多くの2型糖尿病患者は、健診等で数値の指摘を受けて、HbA1c6後半~8辺りから、云われるままに自己管理の大海原(笑)に漕ぎ出すのではないでしょうか。

「大後悔」とは、コメント欄に寄せられた「過去にやった糖質制限に対する気持ち」の長文コメントの冒頭部分ですが、何を大後悔されたのか、肝心のエピソードが綴られていない為、コメント返答ではソコは飛ばして書かざるを得ませんでした。

 

自分は、皆の英知のチカラを借りて、最後には自分の決断で、糖質制限という方法を選択しました。

自分が全努力を傾注して取り組むのだ。それで結果がついてこなければ、自分の中ではそれは「失敗」というカテゴリーの出来事には分類されない。

選択した時点では、自分に出来うる最大の努力をしているから、省みたり修正や方針変更はあっても、「大後悔」という感情は生まれない。

 

後悔、というのは、努力の余地があったのに、やってこなかった、という場合に沸き起こると存じます。

その時を精一杯に生きてきた自分や他人に、後悔を強いる事は、生きる事への侮りに感じます。

社会生活で、すっごい嫌われるセリフがあるのをご存知でしょうか。

「だから云うたやろ」

このセリフを投げつける対象物を利用して、自分がスッキリしているだけの、侮った物言いだと存じます。

 

こういう事を書くことを恐れなくなるまでに、47年かかりました。

酷い状況の幾多あった人生ですが、無かった事にしたい等の大後悔は、誰の為にもならない無駄な思考だと思っています。

なによりも自分自身を殺す感情ではないでしょうか。

 

それまでの方法を改めるのであれば、それは過去の未熟だった自分を「省みる」だけでいいと存じます。

そして、別の方法に気付いた、再挑戦した自分自身を「えらい。よくぞ」と褒めてあげましょう。

後悔することなんか、ナイです。

後悔しても、人生はやり直せませんから。

書き換えていくのは、これから先の人生です。

過去の上に自分が成り立っています。

 

じゃぁ質問です。

花は、土選びを間違ったと、大後悔しますか?<やめれ<いつまでブルゾン引きずる

 

あの時、間違った選択をした過去の自分を、愛おしんでください。

嗚呼、精一杯だったよな、と。

でも出来る事は全てやったよな、と。

 

上記のように思う為には、自分のアタマで考えて、自身で決断を下し、自分の人生を引き受ける覚悟が必要です。

この3つを備えなかった事に対する後悔は、ちょっとはしてもいいかもしれませんが…

自分は自説 ↓ を曲げません。

大後悔、なんの意味も無い。

そんな事にアタマつこてる暇があれば、前へ進め。

自分のアタマと判断でな。

 

あ、でも1年後には違う見解を述べている可能性は大です(笑)

変幻自在に適当に生きてます。ソコは愉しむのが、アナタの力量ですよ<こら

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